超☆マロン白書

 『マロン白書』 待望の第10弾がスタート♪ 今度はスーパーだ☆

『#03 会社として果たすべき責務』

 

 

 

最近よく絡んでいる人に『キムタクがいかに偉大か』を話したことがある。

 

 

自分はそれを『日本の三英傑』に例えた。

 

 

織田信長豊臣秀吉徳川家康

 

 

日本人なら誰もが知ってる武将たちだ。

 

 

ただ、もしこの3人が現代に生まれていたらどうだっただろうか?

 

 

戦乱の世だからこそ名を馳せたわけであって、今の平和な日本では何もできなかったんじゃないかなと。

 

もしかしたら織田信長は地元の工業高校を卒業してパルプ製造会社に就職したかもしれないし、豊臣秀吉は長野県あたりのパチンコ店でホール店長やってるかもしれない。

 

徳川家康は鉄工所のオヤジとか。

 

どこにでもありそうで、いそうな人たち。

 

そこに英雄列伝なんてものは存在せず、普通の人生を全うする。

 

要は何が言いたいかというと

 

『時代がその人たちを選んだ』ってことだ。

 

キムタクは明らかにテレビ界で偉大な功績を残した。

 

『自分が何者で何をしなければならないか』というのがハッキリわかっているのがすごい。

 

SMAPの人気がここまで上がったのはこの男がいたからだ。

 

 

このほどSMAP解散問題で揺れるジャニーズ事務所

 

主体となってくるのは飯島三智マネージャー。

 

彼女がSMAPをここまで大きくしたという。

 

『敏腕マネージャー』ってね。

 

しかし腕の立つマネージャーはどこの事務所でもいる。

 

一番忘れてはならないのは時代背景だ。

 

つまりタイミングってやつ。

 

パイオニアとして彼らにやらせた仕事は確かに結果につながった。

しかしそれらは時代が望んだことであって裏を返せば『偶然』とも言える。

 

要は飯島さんがしたことはそんなに大したことじゃない。

 

それと付随して、ファンはSMAPが見たいのであって別に裏方の人間はどうだっていい。

また義理堅い彼らが飯島さんの独立を支持するのはわかる。

本来タレントは会社(事務所)の指標に従って仕事をするのだが、SMAPの場合メンバー個人がもはや大企業並みの知名度とチカラを持っているので『誰かに従う』という発想もいささか無理がある。

 

そこで見るべき視点を変えてみよう。

 

毎度おなじみ『マロン的角度』ってやつだ。(ひねくれてる)

 

ひとつはSMAPを人として見るか商品として見るか。

 

もうひとつは今回の解散騒動の根っこは何なのか。

 

ではまずひとつ目から書いていくとしよう。

 

SMAPを人として見るか商品として見るか』

 

解散騒動でまず考えなければならないのは多くのファンのこと。

この方たちは一人ひとりのその小さい力で一生懸命応援してくれている。

つまり解散するということは『ファンを無視する行動』となるわけだ。

 

しかし、よく考えてもらいたい。

 

SMAPのメンバー5人も『人である』ということを。

感情も持ってるし、意見も持っている。

でもそれを押し殺して20年間以上走ってきた。

 

もちろんそれは事務所のためでもあり、ファンのためでもある。

 

つまり

他者のためにやってきたということだ。

 

自分の中で持っていた『本当の幸せ』など一切無視して走ってきた。

 

ファンは解散しないでという。

 

しかし、それは彼らが今後も商品として生きていけと突きつけているわけだ。

 

もういいんじゃないか?

 

40歳でダンス踊ったりキラキラアイドルってどう思う?

ちょっとだけラクになる選択肢として事務所抜けるのもありだとオレは思う。

まぁこれはひとつの考え方であって大正解とは思ってないけど。

 

まぁいい

 

もう一つの『解散騒動のホントの根っこってなんなんだ?』って話に行こうか。

 

これね

ホントの根っこは『オンナの嫉妬』だと思うのよ。

 

メリーさんとジュリーさん、それと飯島さん。

 

関わってるのは全員オンナでしょ?

 

まぁヒロムじいちゃんをオンナとするかは微妙だけど、そこは敢えてスルーしとこか。

でもジャニー喜多川社長はまだ何も言わないでしょ。

ギャーギャーうるさいのはこのトップのオンナ共。

 

私がすごいだ、私のものだ、私の結果だ。

 

あのね。

 

一応ジャニーズ事務所って会社なわけ。

普通こういう嫉妬とか感情論ってのはビジネスでは超ご法度。

 

絶対に見せたらダメなんだけどね。

 

ところが権力とかそういうのをもっちゃうと、感情を出しても平気みたいになってくる。

 

周りのウケは最悪なんだけど、当の本人はアホだからそれに気づけないわけよ。

 

だからテレビ(NHKでも報道されてた)や新聞なんかで、良いように書かれてしまうわけ。

裏を返せば『ジャニーズ事務所が笑われてる』ってことなんだけどね。

 

『ここってこんなに大きなプロダクションなのにトップのオンナ同士でモメてるよ』ってね。

 

 

会社としてものすごくみっともない。

 

 

結局その末路は事務所解体・経営崩壊ってのにつながっていく。

 

応援してるファンは女性が多いわけでしょ。

 

んで、その会社のトップも女。

 

『君ら結局なにやってんだ?』って思う。

 

どう伝わるかわかんないけど、何をどうしようといい結果は得られないだろう。

 

『ジャニーズは女のもの』としてる以上は衰退するのみ。

 

まぁトップが傲慢な女なんだから、当然そういう血はファンにも流れてしまうだろう。

 

いろいろ走り書きみたいな文章になったけど、自分はSMAPがどういう結論を出してもなんも思わない。

 

まぁ『ナカイの窓』はおもしろいからあの番組だけ残ってくれたらそれでいい。

 

キムタクも過去のドラマのが面白いからそっち観る。

 

んで

 

 

キスマイはどうなるんだ?

 

 

 

『#03 会社として果たすべき責務』

 

 

 

 

おわり

 

『#02 ブロガーと読者の関係性』

 

 

 

 

 

3年前ブログで『子供は嫌い』と描いたことがある。

 

 

 

 

某ドラマ視聴を目的とした自分のブログは2000人に迫る登録者数と平均15000アクセスを越えるマンモスブログだった。

 

その99%は女性でジャニヲタさん。

 

年齢は小学生から80歳近いおばあちゃんまでさまざま。

その世代の広さに

キスマイや藤ヶ谷くんの人気と注目度の高さが伺えた。

 

夏終わりにドラマも終了し、意味もなく肥大したこのブログで何かを書くのはすごく勇気のいることだった。

『一言の重み』や『発言することのプレッシャー』みたいなものが常にビンビンにあった。

それでも頑張って攻めの姿勢は崩さなかった。

 

元々それまでに描いていたブログは

どこか排他的な世界観や世の中のみっともなさ・ウソ臭さをえぐるように描くのが自分のスタンスだったんだけど、読者の大半が女性でしかも数千人単位ともなると、さすがに好きなことを吠えるわけにはいかなかった。

 

『ヲタ(読者)さんはゲスト』と考えていた自分はどこか低姿勢なところがあった。

 

それでも描きたいことはあるわけで。

 

徐々にテリトリーを広げるように自身のフィロソフィを奏でた。

 

その中のひとつにこの『子供は嫌い』発言があったわけだ。

 

当時コメントを承認制にしていなかった自分のブログは

どなたでも自由に記事の感想を書くことができ、それがそのまま反映されていた。

 

その記事の筆頭にとある主婦の方が『子育てをしているものです。今回の記事はとてもひどい内容でした』と書かれてあり、それに賛同するかのように続々と批判的なコメントが続いた。

 

するとそれまで楽しく読んでいた人はどんどん引いていった。

 

そこに『世の中の最大公約数』なるものを感じた。

 

そもそもこの『子供が嫌い』というワード。

確かにこれだけをみればよろしく無い。

でも

実際このワードにはすごくいろいろな意味が含まれている。

 

元々この『子供は嫌い』発言にはルーツがあって

とあるキス友さんたちとの食事で

子供連れの方が来てたのがそれにあたる。

 

自分はこのキス友さんの優しさや親切心、気遣いをいつも染みるように感じてた。

人の接し方も完璧で、しっとりとした存在に尊敬の念もあった。

 

ところがご飯を食べてる時

 

そのキス友さんは子供にめちゃくちゃ厳しくてね。

 

他のキス友さんと接する時や、自分と接する時とは明らかに違う態度と顔つきで子供に接していた。

 

 

正直、見たくない姿だった。

 

 

それでも母親として子供にしつけやマナーを教えているのだろう。

 

まぁ怒鳴る怒鳴る。

 

周りは凍りついてたけど、それでも子供へのしつけをやめようとしない。

その時に思ったのね。

この人は本来こんな感じじゃないんだろうけど、子供がいるからこんな風なんだろうなって。

 

周りを気にせず子供にガンガンに怒る。

 

よくみる光景かもしれないけど、実際周りは意外と気分良くないもんだ。

 

かといって『怒るな』とも言えん。

 

しつけや教育がどうこう言うつもり無いし

それが必要なことなのもわかるけど

見せられてるこっちはわりとしんどかったりする。

 

よって

『子供は嫌い』ってなったわけ。

 

まぁ厳密に言えば『子供を怒ってるお母さんが嫌い』ってことなのかもしれないけど、そのお母さん自体は素晴らしい人格者だったのでむしろ好きだったと思う。

 

 

 

 

文字は直線的で抑揚や表情がない。

 

 

 

この『子供は嫌い』というワードは結局理解されなかった。

自分のブログは過去にないレベルで炎上した。

 

思っていることや感じることがあるとしたら、それは人によってバラバラだ。

 

まさに十人十色。

 

自分の意見はおそらく半分間違ってると思う。

 

でも

 

半分は正しい。

 

そこからは最大公約数で。

 

女性が大半の自分のブログで『発言権のある主婦』が主導権を取ることになるわけだ。

もしこれがオトコばかりとか独身女性ばかりなら絶対にこうはならなかった。

 

実際その記事の裏で『マロンさんの言ってることわかります』なんてメッセージを多くもらったのを覚えている。

 

その大半は独身女性で。

 

コメントであんな風に批判されたもんだから、ほとんどの女性は見て見ぬふりをするしかなくなるわけだ。

 

結局

次の日に謝罪記事を挙げた。

 

そしたら

謝罪記事を挙げたら挙げたで今度はそれに対していろいろ言われてね。

 

なんでここまでごちゃごちゃ言われなきゃならんのかなって思った。

 

おそらくここまで読んで、ブログを描いている人なら『読者なんてほっときゃいい』ってなることだろう。

 

ってか

そもそも読者ほっといて描いたら炎上したんだけどね。

 

ってことはさ。

 

これって『読者が悪い』ってことにならないか?

 

 

はい、決まり。

 

 

読者が悪い。

 

読み手にセンスがないからそういうことになった。

 

良い読者もいれば悪い読者もいる。

 

もしこのとき『子供は嫌い』ということに対して批判するのであれば

対案をしっかりと明記して批判するべきだと私は思う。

 

しかしこの時の批判は

単純に私のブログ上の言葉を安易に引用していただけだった。

 

つまり

『底の浅い持論』となる。

 

 

結局そのあと

自分はそのブログを捨てた。

 

 

移転して最初は風通しが良くなったんだけど

 

 

またすぐに問題が起きた。

 

 

 

それはまたの機会に書くとしよう。

 

 

 

 

『#02 ブロガーと読者の関係性』

 

 

 

 

 

おわり

『#01 オトコから見たジャニーズ』

 

もうブログを描いて何年になるだろう。

 

最初の頃は書くことがめちゃくちゃ楽しくてね。

連日書きながら笑ってた自分がいる。

でも

当然何日も描いてたらネタが無くなってくる。

 書き始めて1年もすればネタなんてもう絞り粕(しぼりカス)で。

それでもあくなきブログ作成の日々。

終わりをどこにするか見えない状況が続いた。

 

ブログ毎日書いてる人がどう思ってるかわからないけど

実際これってちょっとした病みで精神的牢獄みたな感じだ。

 

毎日書くことを目的にすると無理やりネタを見つけてそれを記事にする。

 

ホンネを言うと

もうこの時点で破綻してる。

 

誰のために、また何のために書いているかが明確でないからだ。

おそらくここら辺りになってくると『読者のため』となってくるのだろう。

 

日本最大級のブログ『アメーバ』で芸能人が記事を描いている。

あれは知名度向上を考えるとすごく重要なことで。

それがそのまま仕事に繋がると言っても過言ではない。

彼らの場合、読者がそのままファンに繋がり、それが仕事となる。

よって先述した『読者のため』ってのが大事になってくるわけだ。

ネタも無理やり探してくればいいし、それこそ画像一枚貼り付けて終わりってのもあり。

 

一方私達のような一般人はどうだろうか。

 

仮に必死になって一日3本記事を挙げたとする。

これを毎日続けたとしても一ヶ月たった90本。

 

さらに読者側も『また更新ね、ハイハイ』と呆(あき)れ感も出てくる。

 

書いてる側と読む側の両方が徐々に消化作業に入ってくる。

そこには『待ち遠しい』とか『ワクワク感』みたいなものがほとんどない。

 

よく自分は巨大産業と希少性について触れることがある。

 

私達のような一般人が目指すべきところは『希少性』であって

芸能人のような巨大産業のマネごとをしても結果破綻が待っている。

かくいう自分もそうした経験を経て現在があるので、今となってはブログをどうすればのんびり書けるかしか頭にない。

 

3年前

とあることがきっかけでジャニーズ関連の趣味をはじめることになった。

『ジャニーズのことを男性目線で書く』

この視点はものすごく希少性があることだった。

なぜならば

多くの男性にとってジャニーズは『不可解でどこか忌み嫌うもの』となっているからだ。

 

自分も当初そうした『色めがね』で彼らを見ていた。

 

まだこの趣味を始める前にブログでKinKi Kidsギネス更新について描いたことがある。

その記事内容は偏見に満ちていた。

 

当時からその見方はどこか特殊で。

 

トップを獲ることが賞賛されるのはわかるのだが

『その楽曲を知っている人間がどれだけいるか』

なんて皮肉めいたことを書いていた。

 

確かにKinKi KidsのFC会員数はジャニーズ全体でも上位にある。

しかしそれはあくまでジャニーズだけの話。

そこにギネス連続首位記録を持ってくるのはいかがなものかと率直に思った。

 

ナナメから見たら『これからもCD買うようにファンを煽っている』・『音楽業界がレーベル側の操作次第で首位を狙えるようになった』なんてことも言えなくない。

 

この時の自分が色めがねだったのは

『実際に活動しているKinKi Kidsを見ていなかった』ということ。

 

実際彼らのここまでの活動は壮絶に満ちていたわけで。

 

堂本剛くんは10代でパニック障害を患いかなり苦しんだ背景がある。

相棒の光一くんはそれを率先してサポートした。

 

こうした出来事を乗り越えたうえでこの記録がある。

 

おそらくこれは男性でも賞賛できることではないだろうか。

しかし多くの人間はこのことを知らない。

その理由はジャニーズが偏見の目で見られているからだ。

 

では

なぜ偏見の目で見られているのか。

 

それはそこに集う女性ファンが邪魔をしている。

 

この3年間で何度かジャニーズのライブに参戦したが会場は見事なまでに女性ばかりで。

もちろんそれ自体は『仕方のないこと』かもしれないが問題は彼女たちの内面にある。

 

どこか『わたしたちは世の男性を受け付けません』といったようなものを感じるのだ。

 

 こう描くと『そんなことない』と言われそうだが少なくとも私にはそう映った。

 

もちろん男性側にも問題があるかもしれない。

しかし世の中そんなに綺麗でかっこいいものだけなのだろうか。

仮にあったとしてもその多くは高嶺の華で届く事もないだろう。

20代でジャニごとに人生かけてる人を多くの男性は『終わった』と思って見ている。

 

それはまるで高級車に乗れないのに欲しがっている様に似ている。

 

こうしたむき出しの感情は周りに様々な弊害をもたらす。

よって

もしジャニごとをするのであれば『言わないほうが良い』かもしれない。

これは隠すという意味ではなく

うまく生きていくための処世術だ。

 

それと

先ほど挙げた高級車の例から引用すると。

 

車が乗れる練習はしておいたほうがいい。

 

中には『わたしは高級車(自担)しか興味ありません』という人もいるだろう。

 気持ちはわかるが

ではもし万一『自担と付き合ったときうまくやっていけるのか?』と聞かれると、普段から普通の車でさえ乗っていないのだから当然厳しくなってくる。

 

中には『見てるだけだから』という人もいる。

そうなると自分も見てるだけの人間なので同じだ。

つまり

コアなジャニヲタさんも自分も『見てるだけ』という括りなら横並び。

ベテランのおばヲタさんも小学生の新規さんも歴の違いさえあれど横並びとなる。

 

さてそんなヲタ環境についてもう少し書くと

 ジャニごとやっていると周りが女性ばかりになってしまい徐々に腐って行く場合がある。

ヲタさんはどこにでもいる普通の女性からどうみてもダメな女性までさまざま。

車の例えで言えば

最初から車に乗れない人はあきらめているかもしれないが、ホントはうまく乗れるのに周りに影響されて腐っていく人もこの3年間で結構見てきた。

その様はまるでゾンビの様だ。 

結果、環境が最大公約数の一部をトップに持ってくるカタチができあがる。

 これはどういうことかというと

 

どうしようもない腐女子がヲタのトップとして君臨する。

 

よくあるケースとしては

それまでしっかりと生きてきた女性が『腐女子のパシリ』のようなカタチになることがある。

実に皮肉な話だ。

世の中にうまく馴染めず、幼少からジャニヲタの腐女子なトップさんはその長いジャニヲタ歴を活かし、積極的に腐っていった。

 

その努力(?)が実り

ついには強い発言力を手に入れる。

 

ところが社会に対する恨みつらみや人嫌いが猛烈に強いため

平気で他人を突き飛ばすような態度を取る場合がある。

 

例えばある新規で何気なくヲタ活動をしている人が、この『腐女子なトップ』と接触したとしよう。

最初はうまくいく。

 女性特有の環境から生まれる『あわせる習性』がそこを後押しして、なんともいえない

『仲良しごっこ』がそこにはあるだろう。

 

ところがそうしたあわせる行動もせいぜい持って1年ほど。

 

徐々にトップさんは腐女子としての才能を発揮してくる。

 

性格もルックスも最悪な処女おばさんにあわせる負け美女。

 

男性の自分としては悲しくて言葉も出ない。(美人大好き)

 

『車に乗れる人は乗る練習を』というのは、ヲタ活動をしながらもそこから俗世間と自分の距離を常に見定めておくことを差している。

 

決して環境に溺れて残念な腐女子に朽ち果てないでほしいものだ。

 

実際自分のヲタ友さんで彼氏できてからジャニヲタを楽しい趣味にしている人は多い。

決して彼氏が『高級車』でなくても、乗ることの楽しさを知れば『見るだけの虚しさ』から解放される。

 

ちなみに

『見るだけの楽しさもある』という意見については一切否定するつもりはない。

 

確かに楽しい。

 

問題はこの楽しさを良しとするのが女性に偏りすぎていること。

 

 そしてそれを牛耳っているのがどうしようもない腐女子であること。

 

ジャニーズを腐女子の巣窟とするか男女問わず楽しめる環境にするのか。

 

このテコ入れの意味はそれなりにあるだろう。

なぜならば

 

今は時代が本物志向に傾いているからだ。

 

 CDで利益を上げることはもはや困難になり、複数形態にシフトするも結果それはファン離れに拍車をかけることになる。

2000年初頭から現在にかけてジャニーズ事務所はその戦略を大きく誤った。

旧来の古い体質から抜け出せずたくさんのファンを失ったのだ。

 

もしこのまま次にデビューするグループが誕生しても、それは単にそれまでジュニア担だった人間がそこにシフトするだけで大きな成果は見込めないだろう。

 

成果が見込めない理由のひとつに『真の実力』があげられる。

高い演技力やトークスキル・歌唱力にダンスなどのパフォーマンス。

 

ここを究極にまで高めていかなければ今の時代まず通用しない。

 

先述している男性でも納得できるものを目指していくのが言葉としては適切だ。

 

腐女子が守護神のようになっていて男は誰も近づかないような媒体はすでに時代遅れ。

 

もしそれでも『ジャニーズは私たち女性だけのものです!』と声高に叫ぶのであれば、あとは衰退していくのを見ていくだけだ。

 

実際本物志向に魅了された女性さえも簡単にジャニーズから去っていく。

 

昔は『他に変わるもの』がなかった。

 

しかし今はたくさんある。

 

サブカル全盛期の今

ジャニーズ事務所はその運営に相当な資金がかかっていることだろう。

このバランスの悪さはヲタを相手にしたつまらなく薄い戦略が原因。

 

現状として明るい材料はHey!Say!JUMPの活躍。

 

彼らは今年から本格的に市場を拡大していくことだろう。

本物志向という点では唯一通用する実力派アイドルグループだ。

順調に嵐からJUMPへのシフトは今後も進められていくことだろう。

同じジェイ・ストームということでレーベル側も何の異論もない。

 

SMAPからキスマイへのシフトについてはまた次の記事で書くとしよう。

 

 

 

 

『オトコから見たジャニーズ』

 

 

 

 

 

おわり